華道・生け花の歴史とは?
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華道・生け花の歴史とは?

現在でも多くの人を魅了している華道や生け花には、どのような歴史があるのでしょうか。これから華道や生け花を始めたいと思っているなら、華道や生け花の歴史についてしっかりと理解しておいたほうがいいでしょう。歴史を理解することが、実際に花を活けるうえでも大きく役立つ可能性が高いです。

今回は、華道や生け花の歴史について説明します。華道や生け花の歴史がよくわからない人は、ぜひこの機会に華道や生け花の歴史について理解を深めましょう。

華道・生け花の歴史とは?

華道とは?

そもそも華道とは、どのようなものでしょうか。華道は、日本で発祥した芸術です。具体的には、草花や樹枝を組み合わせながら花器に挿していきます。そして、全体の美しさを感じます。また、四季や命の尊さを表現したり、鑑賞したりすることも、華道にとって重要な要素です。華道では、単に花を美しく活けるだけではありません。華道を身につけるなかでは、礼儀作法や心身の鍛錬も追求していきます。そのようにして人間性とともに技術を磨いていくことにより、多くの華道家が生まれ、さまざまな技法や流派も派生しています。

華道の起源

華道は、いつ始まったものなのでしょうか。華道が発祥した時期は、実は明確になっていません。ただし、華道の起源は仏教に由来しているとされることが多いです。というのも、仏前に備える供花の風習が次第に華道として確立されていったと考えられているからです。実際のところ、最も古い華道の家元とされているのは、池坊(いけのぼう)の初代である池坊専慶という人物であり、この人は僧侶でした。そういった点から考えると華道は古くから人々にとって重要なものとして根付いてきたといえるでしょう。

生け花の成立

華道の発祥は明確ではありません。しかしながら、生け花として成立したのは室町時代だといわれています。具体的には、どのようにして生け花が成立したのでしょうか。生け花に取り組むのであれば、このポイントをしっかり理解しておくことが必要不可欠だと言えます。ここでは、生け花が成立した室町時代の様子について説明するので、ひととおりしっかりと確認しておきましょう。

前期

生け花が成立したのは、室町時代の前期です。この頃は、建築様式の書院造りが始まった時期でもあります。書院造りは、床の間の原型となる押板や違い棚などがあるのが特徴的です。床の間に飾ることを目的としているため、一定の方向から見ることを前提として生け花が成立しました。 生け花においては、草花にも人間と同じ命が宿っているという思想も重視されます。これにより、華道の形式も整っていったといわれています。また、仏の三具足も整備されたことにより、立て花を飾る風習も生まれるようになります。ここで登場するのが、華道の最も古い家元である池坊専慶です。東福寺の禅僧の日記として残っている「碧山日録」には、実際に記録もあります。具体的には、寛正3年(1462年)に、六角堂の僧侶であった池坊専慶が挿した花が京都で評判になったとされています。

後期

室町時代の後期になると、生け花が理論としてしっかり確立されるようになります。池坊には古くから伝わる「花王以来の花伝書」があります。これが現存する最古の花伝書といわれています。

生け花の発展と池坊

生け花が生まれた後は、実際にどのようにして発展していったのでしょうか。生け花の発展は池坊が大きく牽引しています。生け花の発展の様子は、現在の生け花について理解するために必要な上方となるでしょう。ここでは、生け花の発展の様子について解説するので、きちんとその状況を見てみましょう。

安土時代~江戸時代前期

安土時代~江戸時代前期は、立花が普及していった時代です。池坊専好により、生け花における池坊の地位も確立されました。ただし、全体の歴史の中で見ると、この頃はまだ初期段階であり、現在に伝わる生け花とは雰囲気が微妙に異なっています。

江戸時代中期

江戸時代中期になると、立花のみが注目される状況が変化します。具体的に言うと、この頃に生花が発祥しました。生花とは、簡略ながらも格調高い花形を意味しています。生花が誕生したことにより、生け花はさらに奥が深いものへと変貌していくのです。

江戸時代後期

江戸時代後期になると、池坊専定によって立花について革新がもたらされました。理想的な樹形を作る「幹作り」が特徴的です。また、この頃になると、池坊の門弟数が数万人規模に増大していきます。名実ともに池坊が華道における重要なポジションを得ている様子がうかがえます。江戸時代の後期は、次の時代へと変化する激動の時期でもあります。そのようななかでは、徐々に生け花についても変化の兆しが見えていた可能性があるでしょう。

明治時代~昭和初期

明治時代~昭和初期になると、池坊専正による正風体が導入されるようになります。この頃は、生活様式が洋風に変化し、人々の暮らし方も大きく変わった時代です。そのため、華道においても、それを反映した形態が生み出されました。具体的には、この頃に盛花が成立しています。現代においては、盛花が花の活け方の中でも、最も身近に感じられるものといっても過言ではないでしょう。

それ以降

その後から現在にかけても、華道や生け花はどんどんその存在感を増しています。最近では、華道や生け花の考え方が海外にも広まっています。華道では、活けた花によって儚さを表現するのもひとつの特徴となっています。そのような考え方をするのは、世界で見ても華道ならではのものだといえます。そのことから、華道は唯一無二のものとして注目されているのです。華道の技法は、池坊のものが基本となっています。しかし、実際の技法は時代に適応しながらどんどん発展を続けています。そのため、今後も時代に合わせて異なる考え方や技法が生まれる可能性もあるでしょう。

華道や生け花の歴史について理解しておこう

華道や生け花の歴史について理解しておこう

華道や生け花は、古い時代から長い歴史を経て現代に伝わっています。そのため、さまざまな人の考え方や技法によって変化を遂げてきているのです。華道や生け花にはさまざまな人の思いが詰まっています。そういったことをしっかりと理解したうえで華道や生け花に励むことができれば、華道や生け花についてより高い技術を身につけることができるようになるでしょう。華道や生け花の歴史は、単に知識として頭に入れるだけでなく、当時華道や生け花をおこなっていた人々がどのように感じていたのかについてまで考えながら学ぶといいです。自分なりにイメージしてみることで、華道や生け花に対する認識や捉え方にも変化が出る可能性があります。

華道や生け花においては、単に美しく花を活ければいいというわけではありません。命の尊さについて考えたり、活けた花を見た人にどのような影響を及ぼすのかについてまでしっかり意識したりする必要があるでしょう。もちろん、華道や生け花を始めたばかりの段階で、すべてをうまくおこなえるわけではありません。華道や生け花に精通するためには、長い年月をかけて鍛錬を積む必要があります。実際、華道や生け花を極めている人は、長い時間をかけて華道や生け花に向き合っているのです。華道や生け花を始めるなら、まずはその歴史や関わってきた人々の思いについて理解するところから始めましょう。